原発性下垂体炎(primary hypophysitis)とは、体の免疫システムが自分自身の下垂体を誤って攻撃してしまうことにより、下垂体に炎症が生じ、機能が徐々に低下していく自己免疫性です。
脳の中心部に位置する下垂体は、わずか1センチメートルほどの大きさながら、成長や代謝、生殖機能など、体の様々な機能を調節する重要なホルモンを分泌する「内分泌の司令塔」として知られています。
この病気では下垂体に炎症が起きることで、成長ホルモンや甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモンなどの分泌が徐々に低下していきます。
原発性下垂体炎の症状
原発性下垂体炎では、下垂体前葉および後葉の機能低下により、全身に多様な症状が現れ、複数のホルモン分泌低下に伴う内分泌症状と、炎症や腫大による頭蓋内圧亢進症状が重要です。
頭蓋内圧亢進による症状
下垂体の炎症性腫大により、周辺組織を圧迫することで激しい頭痛が生じることがあり、頭痛は体を動かすことで悪化することが特徴です。
視交叉への圧迫により、視野が狭くなったり、両目の外側が見えにくくなったりする視野障害が徐々に進行していくことも珍しくありません。
症状 | 発現頻度 |
頭痛 | 75-85% |
視野障害 | 40-50% |
内分泌系の症状
成長ホルモンの分泌低下により、成人では疲労感や体力低下、筋力の減少などが現れ、小児では成長障害が問題となります。
甲状腺刺激ホルモンの分泌低下は、甲状腺機能低下症を引き起こし、全身倦怠感や寒がり、体重増加、皮膚の乾燥などの症状につながっていきます。
ホルモン | 低下時の主な症状 |
成長ホルモン | 疲労感、筋力低下 |
甲状腺刺激ホルモン | 倦怠感、体重増加 |
生殖機能への影響
性腺刺激ホルモンの分泌低下により、次のような生殖機能関連の症状が見られます。
- 女性における月経不順や無月経 エストロゲン分泌低下により、月経周期が乱れたり、完全に停止
- 男性における性欲低下や勃起障害 テストステロン分泌低下により、性機能全般が低下
- 不妊症状 卵胞発育や精子形成が障害され、妊娠が困難になる
- 体毛の減少 性ホルモンの低下により、腋毛や恥毛などの体毛が薄くなる
- 骨密度の低下 性ホルモンは骨の形成に重要な役割を果たすため、その低下は骨粗鬆症のリスクを高める
症状は、性腺刺激ホルモンの分泌低下が長期間続くことで徐々に進行していくので、若年層の患者さんでは、将来の妊娠・出産に関する問題も考慮しながら、早期からホルモン動態を注意深く観察していくことが重要です。
代謝系への影響
副腎皮質刺激ホルモンの分泌低下は副腎不全を起こし、血圧低下や低血糖、食欲不振などの症状が起こり、プロラクチンの分泌異常により、女性では乳汁分泌や月経異常が、男性では性機能障害が生じることがあります。
また、抗利尿ホルモンの分泌低下は、尿量の増加や口渇、脱水などの症状を起こし、体内の水分バランスが乱れることで、めまいや立ちくらみ、食欲不振などの症状が現れます。
その他の全身症状
免疫系の活性化に伴い、発熱や倦怠感、関節痛などの全身症状が見られることもあり、このような症状は他の自己免疫疾患との鑑別が必要です。
下垂体機能の低下は体温調節機能にも影響を及ぼすため、発汗異常や体温調節障害といった症状が生じることも少なくありません。
原発性下垂体炎の原因
原発性下垂体炎は、免疫システムが下垂体組織を誤って攻撃し、下垂体に対する自己抗体の産生や免疫細胞の浸潤、遺伝的素因、環境因子などの要因が組み合わさって発症します。
免疫系の異常と自己抗体の関与
免疫系の制御機構の乱れにより、本来は自己の組織を攻撃しないはずの免疫細胞が下垂体組織を異物として認識し、炎症反応を起こすことで組織障害が進行します。
下垂体に対する自己抗体 | 検出される割合 |
抗下垂体細胞抗体 | 65-75% |
抗αエノラーゼ抗体 | 40-50% |
自己抗体の産生メカニズムには分子相同性という現象が関与していて、外部からの病原体の一部と下垂体組織の構造が似ているために、免疫系が誤った認識を起こすことがあるのです。
遺伝的背景の影響
下垂体炎の発症に関与する主な遺伝的要因
- HLA(ヒト白血球抗原)の特定のタイプ 免疫応答の個人差を決定
- サイトカイン遺伝子の多型 炎症反応の強さに影響
- 免疫制御遺伝子の変異 免疫寛容の破綻に関与
- T細胞受容体遺伝子の変異 自己抗原の認識に影響
- B細胞関連遺伝子の異常 自己抗体産生に関与
遺伝的要因は、個々の患者さんによって異なる組み合わせで存在し、それぞれが疾患の発症や進行に影響を及ぼしていることが明らかになってきました。
環境因子と誘発要因
環境要因 | 発症への影響 |
ウイルス感染 | 免疫反応の活性化と交差反応 |
物理的ストレス | 免疫系の機能低下と炎症促進 |
感染症やストレスなどの環境因子は、潜在的な自己免疫反応のトリガーとして働く可能性があり、特にウイルス感染後に発症するケースでは、感染による免疫系の活性化が自己免疫反応を誘発する引き金となっていると考えられています。
ホルモン環境と性差
女性ホルモンの変動は免疫系に影響を与え、妊娠・出産期における内分泌環境の劇的な変化が発症のきっかけとなることがあり、周産期に発症する症例が多いことから、急激なホルモンバランスの変化が免疫系の制御を乱す可能性があります。
エストロゲンレベルの変動は免疫系の活性化に影響を与えることが知られており、これが女性に発症が多い理由の一つです。
また、年齢による性ホルモンの変化も発症に関与している可能性があり、更年期前後での発症が多いという特徴が見られます。
原発性下垂体炎の検査・チェック方法
原発性下垂体炎の診断には、血液検査による内分泌機能評価、MRIなどの画像診断、および各種の内分泌負荷試験を組み合わせて総合的に判断します。
血液検査による内分泌機能評価
下垂体から分泌されるホルモンの機能を評価するため、血液検査では複数のホルモン値を同時に測定することで、下垂体前葉機能の全体像を把握していきます。
検査項目 | 基準値 | 採血のタイミング |
ACTH | 7.2-63.3 pg/mL | 早朝空腹時 |
コルチゾール | 4.0-18.3 μg/dL | 早朝空腹時 |
内分泌負荷試験
内分泌負荷試験は、ホルモンの分泌予備能を評価する重要な検査で、各種の刺激物質を投与して下垂体からのホルメン分泌反応を観察します。
下垂体機能低下症が疑われる際に実施する負荷試験
- CRH負荷試験(ACTH分泌能の評価)
- TRH負荷試験(TSH分泌能の評価)
- GHRH負荷試験(GH分泌能の評価)
- GnRH負荷試験(LH、FSH分泌能の評価)
- インスリン負荷試験(複合的な下垂体機能評価)
画像診断による下垂体の評価
MRI検査は下垂体の形態学的変化を観察でき、ガドリニウム造影剤を用いた造影MRI検査では、炎症の範囲や程度をより明確に把握することが可能です。
撮影方法 | 観察対象 | 特徴的な所見 |
単純MRI | 下垂体の大きさと形状 | T1強調像での信号変化 |
造影MRI | 炎症の範囲と程度 | 造影効果の分布パターン |
自己抗体検査による免疫学的評価
原発性下垂体炎には自己免疫性のメカニズムが関与していることから、抗下垂体抗体をはじめとする各種自己抗体の測定が診断の一助になります。
また、他の自己免疫疾患の合併の有無を確認するため、抗核抗体や抗甲状腺抗体などの測定も併せて行うことが大切です。
尿検査・その他の一般検査
尿中浸透圧や尿量の測定は、中枢性尿崩症の合併の有無を評価する上で大切な検査項目です。
また、血液生化学検査や血算、炎症マーカーの測定なども併せて実施することで、全身状態の評価や他疾患との鑑別に役立ちます。
原発性下垂体炎の治療方法と治療薬、治療期間
原発性下垂体炎の治療は、ステロイド薬による免疫抑制療法を基本としながら、ホルモン補充療法を組み合わせて行います。
ステロイド治療による免疫抑制
副腎皮質ステロイド薬は炎症を抑制し免疫反応を制御する効果があり、経口投与から開始して症状の改善に応じて徐々に減量していきます。
主なステロイド薬 | 標準的な投与量 |
プレドニゾロン | 20-30mg/日 |
ヒドロコルチゾン | 15-20mg/日 |
初期治療では比較的大量のステロイドを投与し、症状の改善を図ることが重要となりますが、長期使用による副作用にも注意が必要です。
ホルモン補充療法
下垂体機能低下に対する主な補充療法には以下のようなものがあります。
- 副腎皮質ホルモン補充(ヒドロコルチゾン)
- 甲状腺ホルモン補充(レボチロキシン)
- 成長ホルモン補充(ソマトロピン)
- 性ホルモン補充(エストロゲン/テストステロン)
- 抗利尿ホルモン補充(デスモプレシン)
ホルモン補充療法は、血液検査による各ホルモン値のモニタリングを行いながら、個々の患者さんの状態に合わせて投与量を調整していきます。
治療期間と経過観察
治療段階 | 期間の目安 |
急性期治療 | 2-4週間 |
維持期治療 | 3-6ヶ月 |
急性期の集中的な治療後は、画像検査で下垂体の腫大や炎症の改善を確認しながら薬剤の減量を進め、ステロイド治療は3ヶ月から6ヶ月程度です。
薬の副作用や治療のデメリットについて
原発性下垂体炎の治療では、副腎皮質ステロイド薬を中心とした薬物療法や手術療法で、免疫力低下、骨粗しょう症、感染症リスクの上昇など、様々な副作用やデメリットがあります。
副腎皮質ステロイド薬による全身性の副作用
副腎皮質ステロイド薬による治療は、長期投与において全身に及ぶ影響を慎重に観察することが大切です。
満月様顔貌や中心性肥満などの容姿の変化、また、体重増加と併せて生活習慣病のリスクを高める可能性があります。
副作用の種類 | 発現時期 | 頻度 |
満月様顔貌 | 投与後数週間 | 高頻度 |
皮膚の菲薄化 | 数か月後 | 中程度 |
骨・筋肉系への影響
長期的なステロイド投与は、骨密度の低下を引き起こすことが重要な問題で、閉経後の女性や高齢者において骨折のリスクが上昇し、筋力低下や筋萎縮も見られることがあります。
注意が必要な症状
- 大腿骨頭壊死による股関節痛
- 脊椎圧迫骨折による腰背部痛
- 筋力低下による歩行障害
- 関節痛や筋肉痛の増悪
- 皮下出血や皮膚の脆弱化
内分泌系への二次的影響
ホルモン補充療法を行う際には、各種ホルモンのバランスが崩れることで、新たな内分泌学的問題が生じる可能性があります。
影響を受ける系統 | 主な症状 | 出現頻度 |
糖代謝 | 耐糖能異常 | 比較的高頻度 |
電解質バランス | むくみ・高血圧 | 中程度 |
手術治療に伴うリスク
手術による治療を選択した際には、術後の下垂体機能低下や髄液漏などの合併症リスクがあり、長期的なホルモン補充療法が必要となることも少なくありません。
手術アプローチによっては、鼻腔や副鼻腔を経由するため、術後の嗅覚障害や鼻出血などの問題が生じる可能性もあります。
免疫機能への影響
免疫抑制作用を持つステロイド薬の使用により、感染症に対する抵抗力が低下し、呼吸器感染症や帯状疱疹などのウイルス感染症のリスクが高いです。
また、創傷治癒の遅延や、既存の感染症の悪化にも注意を払う必要があり、糖尿病を合併している患者さんでは、より慎重な経過観察が求められます。
保険適用と治療費
以下に記載している治療費(医療費)は目安であり、実際の費用は症状や治療内容、保険適用否により大幅に上回ることがございます。当院では料金に関する以下説明の不備や相違について、一切の責任を負いかねますので、予めご了承ください。
外来診療における費用
外来診療では定期的な画像検査と血液検査が必要です。
検査項目 | 自己負担額(3割負担の場合) |
MRI検査 | 15,000円~30,000円/回 |
血液検査 | 3,000円~8,000円/回 |
内分泌負荷試験 | 20,000円~40,000円/回 |
血液検査は月1回程度の頻度で実施し、ホルモン値の推移を確認します。
薬物療法にかかる費用
ステロイド治療とホルモン補充療法では、以下のような費用が発生します。
- プレドニゾロン(ステロイド) 2,000円~4,000円/月
- ヒドロコルチゾン 3,000円~6,000円/月
- 甲状腺ホルモン剤 2,000円~5,000円/月
- 成長ホルモン製剤 20,000円~50,000円/月
- 性ホルモン製剤 3,000円~8,000円/月
入院治療に関する費用
入院費用項目 | 自己負担概算(3割負担の場合) |
一般病棟(1日) | 5,000円~8,000円 |
集中治療室(1日) | 15,000円~25,000円 |
手術費用 | 150,000円~300,000円 |
入院期間は、2週間から1ヶ月程度です。
以上
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