鼠径部ヘルニア(Inguinal hernia)とは、足の付け根の辺り(鼠径部)で腹膜や腸などの内臓が腹腔外に飛び出してしまった状態です。
男性に多く、立っているときや力んだときに違和感や痛みを感じる場合がありますが、中には症状がほとんどない方もいます。
生命に直接関わる危険性は低いものの、放置すると症状が悪化する可能性があるため、早期の診断と対応が重要です。
鼠径部ヘルニアの病型
鼠径部ヘルニアは、鼠径ヘルニアと大腿ヘルニアに大別され、さらに鼠径ヘルニアは「外鼠径ヘルニア」と「内鼠径ヘルニア」に分類されます。
外鼠径ヘルニアは最も頻度が高く、小児例のほぼ全てと成人例の約70%を占めています。
大分類 | 細分類 |
鼠径ヘルニア | 外鼠径ヘルニア |
内鼠径ヘルニア | |
大腿ヘルニア | – |
外鼠径ヘルニア
外鼠径ヘルニアは鼠径部ヘルニアの中で最も多く、腹腔内容物が腹膜鞘状突起を通って陰嚢まで下降するのが特徴です。
小児例のほぼ全てと成人例の約70%を占め、先天的な要因が大きく関与していると考えられており、解剖学的な脆弱性が背景にあると推測されています。
内鼠径ヘルニア
内鼠径ヘルニアは、外鼠径ヘルニアに比べて発生頻度が低く、成人の鼠径ヘルニア全体の約20%程度を占めます。
この病型では、腹腔内容物が腹横筋筋膜を貫いて、鼠径管内に脱出するのが特徴です。
主に後天的な要因によって発生すると考えられており、加齢や腹圧の上昇など、日常生活や職業に関連する要素が影響している可能性があります。
ヘルニアの種類 | 発生頻度 | 主な発生要因 |
外鼠径ヘルニア | 高い | 先天的 |
内鼠径ヘルニア | 中程度 | 後天的 |
大腿ヘルニア | 低い | 後天的 |
大腿ヘルニア
大腿ヘルニアは、鼠径部ヘルニアの中では稀な形態で、発生率は全体の数%です。
腹腔内容物が大腿輪を通って大腿部に脱出するのが特徴で、主に中年以降の女性に多く見られます。
解剖学的な要因や出産経験などが関連している可能性が指摘されており、骨盤底の構造や靭帯の緩みが影響していると考えられています。
大腿ヘルニアは、嵌頓のリスクが高いという点で他の鼠径部ヘルニアとは異なる注意が必要です。
鼠径部ヘルニアの症状
鼠径ヘルニアの症状は、鼠径部に膨らみが現れ、立ったり、咳やくしゃみをしたりすると痛みや圧迫感を感じます。
重症化すると、膨らみが元に戻らなくなる場合があります。
鼠径部の膨らみと違和感
鼠径部ヘルニアの最も特徴的な症状は、鼠径部(足の付け根)に膨らみが生じることです。
膨らみは立位や歩行時に顕著になり、横になると消失します。
違和感や不快感を覚える場合も多く、膨らみの大きさは小さなものから目立つものまで様々です。
また、この膨らみは日内変動を示す場合があり、朝方は軽度であっても夕方になると顕著になるといったケースも報告されています。
痛みと不快感
鼠径部ヘルニアに伴う痛みは、軽度のものから強いものまで幅広く存在します。多くの場合、鼠径部に鈍い痛みや圧迫感を感じます。
長時間の立位や歩行、重い物を持ち上げるなどの動作で痛みが悪化する、咳やくしゃみをした際に痛みが増強するといった点が特徴です。
痛みの特徴 | 説明 |
部位 | 鼠径部(足の付け根) |
性質 | 鈍痛、圧迫感 |
悪化要因 | 立位、歩行、重い物を持ち上げる動作 |
消化器症状
鼠径部ヘルニアが進行すると消化器系に影響を及ぼす場合があり、以下のような症状が現れます。
- 吐き気や嘔吐
- 便秘
- 腹部膨満感
- 食欲不振
これらの症状は、腸管がヘルニア嚢に入り込んで生じる腸閉塞や、血流障害に関連している場合が多いです。
特に、腸閉塞の初期症状として腹痛や腹部膨満感が出現することがあるため、注意が必要です。
日常生活への影響
鼠径部ヘルニアの症状により、長時間の立ち仕事や重労働が困難になったり、スポーツ活動に支障をきたす場合があります。
また、痛みや不快感によって睡眠の質が低下し、疲労感が増すなどの二次的な影響も見られます。
影響を受ける活動 | 具体例 |
仕事 | 立ち仕事、重労働 |
スポーツ | ランニング、重量挙げ |
日常生活 | 睡眠、家事 |
緊急性の高い症状
鼠径部ヘルニアの中には、緊急的な対応が必要なケースもあります。
特に、嵌頓(かんとん)ヘルニアと呼ばれる状態は腸管が絞扼されて血流が途絶えるため、重大な合併症を引き起こす恐れがあります。
- 急激な痛みの増強
- 吐き気
- 嘔吐
- 発熱 など
これらの症状が現れた際には、速やかな医療機関への受診が必要です。
鼠径部ヘルニアの原因
鼠径部ヘルニアは、腹腔内の臓器や脂肪組織が腹壁の弱い部分から突出する疾患です。その主な原因は、先天的な要因と後天的な要因に分けられます。
加齢や腹圧の上昇、遺伝的素因などが複合的に作用して発症するため、予防や早期発見が重要です。
- 先天的な解剖学的特徴(鼠径管の不完全閉鎖など)
- 加齢による組織の弾力性低下
- 慢性的な腹圧上昇(咳、便秘、肥満など)
- 職業上のストレス(重量物の持ち上げ、長時間の立ち仕事)
- 遺伝的素因(結合組織の質的異常)
先天的要因
鼠径部ヘルニアの発症には、生まれつきの解剖学的特徴が関与しています。
特に男性の場合、精巣が下降する際に通過する鼠径管が完全に閉じずに残る場合があります。そのため、鼠径部の脆弱性を高め、ヘルニアの発生リスクを増大させる要因となります。
女性の場合は、靭帯の脆弱性や骨盤底の構造的特徴が関与しています。
性別 | 先天的要因 |
男性 | 鼠径管の不完全閉鎖 |
女性 | 靭帯の脆弱性、骨盤底の構造 |
後天的要因
加齢に伴う筋肉や結合組織の弾力性低下は、腹壁の支持力を弱めます。これにより、内臓が押し出される可能性が高まり、ヘルニアの発生リスクが増加します。
また、慢性的な咳や便秘、肥満などによる腹圧の上昇もヘルニアの発生を促進する要因です。
そのほか、重量物の反復的な持ち上げや長時間の立ち仕事などは腹部に過度な圧力をかけるため、時間とともにヘルニアの発生リスクを高める可能性があります。
遺伝的要因
遺伝子レベルでの組織の脆弱性や、結合組織の質的異常が受け継がれることにより、ヘルニアの発生しやすい体質が形成される可能性もあります。
特に、結合組織の強度に関わるコラーゲンの遺伝子変異は、ヘルニアの発症と関連していることが研究で示されています。
遺伝的要因 | 影響 |
コラーゲン遺伝子変異 | 結合組織の脆弱化 |
家族歴 | 発症リスクの上昇 |
鼠径部ヘルニアの検査・チェック方法
鼠径部ヘルニアの検査は、医師による身体診察、問診、場合によっては超音波検査やCTスキャンなど画像検査が行われます。
診察の基本
診察ステップ | 主な内容 |
病歴聴取 | 症状、経過、生活習慣 |
視診 | 膨隆の有無、大きさ、左右差 |
触診 | 立位・臥位での確認 |
触診は立位と臥位の両方で行う場合が多いです。姿勢を変えると、ヘルニアの性状や還納性をより詳細に評価できます。
臨床診断のポイント
臨床診断では、以下の点に注意して診察を進めます。
- 鼠径部の膨隆が咳やいきみで増強するか
- 立位で増強し、臥位で軽減するか
- 還納(押し戻すこと)が可能か
- 圧痛の有無
これらの所見を総合的に評価し、鼠径部ヘルニアの可能性を判断します。
画像検査による確定診断
臨床診断で鼠径部ヘルニアが疑われる際、画像検査で確定診断を行います。
超音波検査はヘルニア門の大きさや内容物の評価が可能で、動的な観察も行えます。患者さんへの負担が少なく、繰り返し行える点がメリットです。
CT検査は、特に複雑なケースや再発例で有用です。ヘルニアの正確な位置や大きさ、周囲の解剖学的構造との関係を明確に把握できます。
MRI検査も高い解像度で軟部組織の評価に優れていますが、一般的には必須ではありません。特殊なケースや他の疾患との鑑別が困難な場合に考慮されます。
検査方法 | 特徴 |
超音波 | 非侵襲的、動的観察可能 |
CT | 詳細な情報、複雑例に有用 |
MRI | 高解像度、軟部組織評価に優れる |
鑑別診断の重要性
鼠径部ヘルニアの診断には、類似した症状を呈する他の疾患との鑑別が必要です。
具体的には、症状や所見が類似する鼠径リンパ節炎、精索水腫、精巣腫瘍などが鑑別対象となります。
鼠径部ヘルニアの治療方法と治療薬について
鼠径部ヘルニアは自然治癒が期待できないため、原則として手術による治療が必要です。
年齢別の手術療法
小児の場合、ヘルニア嚢の高位結紮が行われます。
代表的な方法としてポッツ法やエルペック法があり、これらの手術ではヘルニア嚢を高い位置で縛り、ヘルニアの再発を防ぎます。
一方、成人の場合は鼠径部の補強術が主流です。
特にメッシュ法が広く用いられており、人工の網状の素材を用いてヘルニアの出口を補強し、再発のリスクを低減します。
年齢層 | 主な手術方法 | 特徴 |
小児 | ヘルニア嚢の高位結紮 | ポッツ法、エルペック法など |
成人 | 鼠径部の補強術 | メッシュ法が一般的 |
嵌頓ヘルニアへの対応
ヘルニアが嵌頓を起こしている場合、状況に応じて以下のような対応が必要となります。
発赤なく軽度の圧痛のみの場合
まず徒手整復を試みます。整復に成功した場合は、その後待機的に手術を行います。
徒手整復できない場合や発赤・圧痛が著明な場合
緊急手術の適応となります。
嵌頓から長時間(12時間以上)経過した場合
整復を試みずに緊急手術の適応となります。これは腸管の壊死などの深刻な合併症のリスクが高まるためです。
手術療法の種類と特徴
鼠径部ヘルニアの手術療法には、大きく分けて従来の開放手術と近年普及してきた腹腔鏡下手術があります。
開放手術は鼠径部に5〜10cm程度の切開を加えてヘルニア門を直接修復する方法で、局所麻酔下で行うことができ、入院期間も比較的短いのが利点です。
患者さんの負担が少ない反面、傷跡が目立つ可能性があります。
一方、腹腔鏡下手術は、お腹に数か所の小さな穴を開けて特殊な器具を挿入し、モニターを見ながら行う低侵襲な手術方法です。
傷が小さく、術後の痛みが少ない特徴がありますが、全身麻酔が必要となり手術時間がやや長くなる傾向があります。
手術方法 | 利点 | 欠点 |
開放手術 | 局所麻酔可能、入院期間が短い | 傷跡が目立つ、術後の痛みがやや強い |
腹腔鏡下手術 | 傷が小さい、術後の痛みは軽度 | 全身麻酔必要、手術時間がやや長い |
非手術療法の選択肢
手術に耐えられない高齢者や全身状態が不良な患者さんに対しては、非手術療法が検討されます。
非手術療法の主な方法として、ヘルニアベルトの装着があげられます。ヘルニアベルトは、ヘルニアの膨らみを外部から押さえつけることで症状を軽減する効果があります。
日常生活の質を向上させる可能性がありますが、完治を目指すものではありません。
あくまでも対症療法であるため、長期的には手術療法の検討が望ましいです。
処方薬による症状管理
鼠径部ヘルニアの治療において、処方薬は主に症状緩和や手術前後のケアに用いられます。
よく用いられる薬剤の種類と目的
鎮痛剤 | 術後の痛み管理や日常生活での不快感の軽減 |
---|---|
抗生剤 | 術後感染予防や感染症発症時の治療 |
緩下剤 | 術後の便秘予防や腹圧上昇の抑制 |
抗血栓薬 | 手術に伴う血栓予防(必要な場合のみ使用) |
鼠径部ヘルニアの治療期間と予後
鼠径部ヘルニアの治療期間は、従来の開腹手術の場合数日から1週間程度とされていますが、近年では日帰り手術も可能となっています。
治療期間の概要
一般的に入院期間は1〜3日程度で、退院後の休養期間を含めると通常1〜2週間程度で日常生活に戻れる場合が多いです。
治療段階 | 期間 |
入院 | 1〜3日、近年では日帰り手術も可 |
休養 | 1〜2週間 |
完全回復 | 1〜3か月 |
回復過程と日常生活への影響
手術直後は安静が必要ですが、徐々に活動範囲を広げていくことができます。
軽作業や事務仕事などは、術後1〜2週間程度で再開できます。重い物を持ち上げるなどの激しい運動は、少なくとも4〜6週間は避けるようにしましょう。
予後と再発リスク
鼠径部ヘルニアの手術後の予後は一般的に良好ですが、再発のリスクがあります。
再発率は手術方法や状態によって異なりますが、一般的に5〜10%程度とされています。
再発リスク要因 | 影響度 |
肥満 | 高 |
喫煙 | 中 |
慢性咳嗽 | 中 |
高齢 | 低 |
薬の副作用や治療のデメリットについて
鼠径部ヘルニアの手術治療では、麻酔のリスクや術後の痛み、感染症などの合併症のリスクがあります。
手術に伴う一般的なリスク
鼠径部ヘルニアの手術では、他の外科手術と同様に一般的なリスクが伴います。
リスク | 説明 |
出血 | 手術部位や周辺の血管からの出血 |
感染 | 手術創や体内での細菌感染 |
麻酔関連の合併症 | 呼吸器や循環器系の問題 |
血栓症 | 深部静脈血栓症や肺塞栓症 |
鼠径部ヘルニア手術特有のリスク
鼠径部ヘルニア手術に特有のリスクとしては、以下のようなものが挙げられます。
神経損傷 | 鼠径部の神経が傷つくことによる痛みやしびれ |
---|---|
精巣への血流障害 | 精索血管の損傷による精巣萎縮 |
膀胱損傷 | 特に大きなヘルニアの場合に起こる可能性がある |
メッシュ関連の合併症 | 人工補強材料使用に伴う違和感や感染 |
術後の慢性疼痛
手術後3ヶ月以上続く痛みを慢性疼痛と定義し、その発生率は手術方法によって異なりますが、概ね10〜12%程度とされています。
慢性疼痛の原因としては、以下のような要因が考えられます。
原因 | 詳細 |
神経損傷 | 手術中の神経の切断や圧迫 |
メッシュの収縮 | 人工補強材料の収縮による周囲組織への刺激 |
炎症反応 | 手術や異物に対する体の反応 |
術前からの痛み | 既存の痛みが持続または悪化 |
保険適用と治療費
以下に記載している治療費(医療費)は目安であり、実際の費用は症状や治療内容、保険適用否により大幅に上回ることがございます。当院では料金に関する以下説明の不備や相違について、一切の責任を負いかねますので、予めご了承ください。
鼠径部ヘルニアの治療は健康保険が適用されます。小児の場合は一般的に医療費助成制度があるため、自己負担額はゼロ円もしくは数百円程度である自治体が多いです。
診察・検査費の目安
項目 | 概算費用 |
---|---|
診察 | 3割負担で1,000円~3,000円程度 |
超音波検査 | 1,000円~3,000円程度 |
腹部CT検査 | 5,000円~15,000円程度 |
MRI検査 | 10,000円~30,000円程度 |
手術費用の目安
手術方法 | 概算費用 |
開腹手術 | 10万円〜20万円 |
腹腔鏡下手術 | 15万円〜30万円 |
以上
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