腹壁瘢痕ヘルニア(ふくへきはんこんヘルニア/Abdominal incisional hernia)とは、過去の手術で腹部に出来た傷跡(瘢痕)が弱くなり、そこから腹腔内の臓器や脂肪組織が飛び出してしまう状態を指します。
手術後の傷跡が完全に治癒せず、腹圧により次第に弱くなっていくことで発生します。
多くは腹部の膨らみや違和感が初期症状となり、重症化すると痛みを伴う場合もある病気です。
腹壁瘢痕ヘルニアの症状
腹壁瘢痕ヘルニアは、主に腹部の膨らみや痛みを引き起こす症状が特徴です。
腹壁瘢痕ヘルニアの代表的な症状
腹壁瘢痕ヘルニアの最も顕著な症状は、腹部の膨らみです。
膨らみは手術跡の近くに現れるケースが多く、立位や咳をしたときに目立つようになります。また、腹圧がかかる動作をすると膨らみがより顕著になります。
痛みや不快感
軽度の場合は、わずかな違和感程度ですが、重度の場合は激しい痛みを伴う場合があります。
症状の程度 | 痛みの特徴 |
軽度 | わずかな違和感 |
中度 | 鈍痛や不快感 |
重度 | 激しい痛み |
日常生活への影響
腹壁瘢痕ヘルニアの症状は、日常生活に様々な影響を及ぼす可能性があります。
例えば、立ち上がる、歩く、重い物を持ち上げるなどの動作が困難になります。また、腹部の膨らみが目立つ場合は、外見的な問題から精神的なストレスを感じる方もいます。
消化器系の症状
腹壁瘢痕ヘルニアが進行すると、以下のような消化器系の症状が現れる可能性があります。
- 便秘
- 腹部膨満感
- 吐き気
- 嘔吐
消化器系の症状が持続したり悪化したりする場合は、速やかに医療機関を受診することが望ましいです。
緊急を要する症状
腹壁瘢痕ヘルニアの中でも、特に注意が必要な症状があります。緊急症状が現れた場合は、迅速な医療機関への受診が必要です。
緊急症状 | 特徴 |
激しい腹痛 | 突然の激痛 |
嘔吐 | 持続的な嘔吐 |
発熱 | 38度以上の高熱 |
腹部の腫れ | 急激な膨張 |
腹壁瘢痕ヘルニアの原因
腹壁瘢痕ヘルニアは、過去の手術による腹壁の脆弱化が主な原因です。
手術後の腹壁脆弱化
腹壁瘢痕ヘルニアの最も一般的な原因は、過去の腹部手術による腹壁の脆弱化です。
手術後、腹壁の筋肉や筋膜が十分に修復されないことがあり、腹壁の強度が低下して内臓が押し出される隙間ができてしまうのです。
特に、大きな切開を必要とする手術や、複数回の手術を受けた患者さんは腹壁瘢痕ヘルニアのリスクが高くなります。
手術の種類 | ヘルニアリスク |
小切開手術 | 低 |
大切開手術 | 高 |
複数回手術 | 非常に高 |
創傷治癒の問題
創傷治癒の過程で問題が生じると、腹壁瘢痕ヘルニアの発生リスクが高まります。
正常な創傷治癒では、コラーゲンなどの結合組織が適切に形成され、傷跡部分の強度が保たれます。
しかし、感染や栄養不良、糖尿病などの基礎疾患がある場合、創傷治癒が遅延または不完全になることがあります。
このような状況では、腹壁の強度が十分に回復せず、ヘルニアが発生しやすくなるのです。
腹腔内圧の上昇
腹腔内圧が高まると、脆弱化した腹壁に大きな負荷がかかり、ヘルニアの形成につながる可能性があります。
腹腔内圧を上昇させる主な原因
- 肥満
- 慢性の咳嗽
- 便秘
- 重量物の持ち上げ
- 妊娠
これらの要因が持続的に存在すると、腹壁瘢痕ヘルニアのリスクが増大します。
個体要因
年齢や性別、喫煙習慣、栄養状態などもヘルニアの発生リスクに影響を与えます。
特に高齢者や喫煙者、栄養不良の方は創傷治癒能力が低下しているため、腹壁瘢痕ヘルニアが発生しやすい傾向です。
個体要因 | リスク |
高齢 | 高 |
喫煙習慣 | 高 |
栄養不良 | 高 |
若年非喫煙者 | 低 |
手術技術と材料の影響
不適切な縫合技術や、強度の不十分な縫合糸の使用は腹壁の脆弱化を引き起こす原因となります。
また、手術中の過度の組織操作や創部の過度の緊張も創傷治癒を妨げ、ヘルニア発生のリスクを高める要因です。
近年では、これらの問題に対応するため、より強固な縫合材料や腹壁補強用のメッシュなどが開発されています。
腹壁瘢痕ヘルニアの検査・チェック方法
腹壁瘢痕ヘルニアの診断では、問診・視診・触診に加え、超音波検査やCT検査で確定診断を行います。
問診と身体診察
問診では、患者さんの既往歴や手術歴を詳しく聴取します。特に腹部手術の既往は重要な情報となります。
身体診察では、立位と臥位での視診や触診を行い、ヘルニアの大きさや位置、還納の可否などを確認します。
問診で確認すべき主な項目
- 腹部手術の既往(手術の種類、時期)
- ヘルニアの出現時期と経過
- 痛みや違和感の有無
- 日常生活への影響
- 併存疾患の有無
画像検査
検査方法 | 特徴 |
腹部超音波検査 | 非侵襲的で簡便、リアルタイムに観察可能 |
CT検査 | 詳細な画像が得られ、ヘルニア門の大きさや内容物の評価に有用 |
MRI検査 | 軟部組織のコントラストに優れ、腹壁の詳細な評価が可能 |
臨床診断
腹部の手術痕に一致して膨隆があり、その膨隆が用手的に還納可能であれば腹壁瘢痕ヘルニアの可能性が高いといえます。
しかし、肥満や腹水などの影響で診断が困難な症例もあるため、注意が必要です。
確定診断
診断基準 | 内容 |
ヘルニア門の存在 | 腹壁の欠損または脆弱化が画像上で確認できる |
内容物の脱出 | 腹腔内臓器や大網が腹壁外に脱出している |
還納性 | 用手的に還納可能、または自然に還納する |
これらの基準を満たすことで、腹壁瘢痕ヘルニアの確定診断となります。
腹壁瘢痕ヘルニアの治療方法と治療薬について
腹壁瘢痕ヘルニアの治療は手術療法が主体となりますが、症状や患者さんの状態に応じて保存療法も選択肢となります。
手術ではメッシュを用いた修復術が標準的で、腹腔鏡下手術も増えています。
処方薬は主に痛み止めや抗生剤が用いられますが、根本的な治療には手術が必要です。
治療法の選択
腹壁瘢痕ヘルニアの治療法は、ヘルニアの大きさや症状の程度、患者さんの全身状態などを考慮して選択されます。
手術療法が第一選択となる場合が多いですが、手術リスクが高い方や症状が軽度な場合には保存療法が選ばれることもあります。
手術療法
手術療法は腹壁瘢痕ヘルニアの根本的な治療法として広く行われており、多くの患者さんにとって最も効果的な選択肢となっています。
手術の主な目的は、ヘルニア門を閉鎖し腹壁の強度を回復させることであり、これによりヘルニアの再発を防ぐことができます。
現在、最も一般的な手術方法は人工補強材(メッシュ)を用いた修復術です。
手術方法 | 特徴 |
開腹手術 | 従来から行われている方法で、直接ヘルニア部位にアプローチする |
腹腔鏡下手術 | 低侵襲で、術後回復が早い傾向がある |
腹腔鏡下手術は近年増加傾向ですが、すべての症例に適しているわけではありません。
保存療法
保存療法は手術リスクが高い方や症状が軽度な場合に選択され、状態によっては有効な選択肢となりうる治療法です。
主な保存療法
- 腹帯の使用
- 生活指導(重い物を持たない、腹圧をかけすぎないなど)
- 定期的な経過観察
保存療法ではヘルニアそのものを治すことはできませんが、症状の緩和や進行の抑制が期待できます。
ただし、症状が悪化した際には手術の必要性を再検討する必要があり、定期的な経過観察と自己管理が非常に重要となってきます。
処方薬
腹壁瘢痕ヘルニアの治療において、主に用いられる薬剤は以下の通りです。
薬剤の種類 | 使用目的 |
非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs) | 疼痛や炎症の軽減 |
抗生物質 | 手術前後の感染予防 |
これらの薬剤は症状の緩和や合併症の予防に効果がありますが、ヘルニアそのものを治すことはできず、あくまでも対症療法の一環として位置付けられます。
また、長期的な使用には注意が必要で、特にNSAIDsの長期使用は胃腸障害のリスクがあります。
腹壁瘢痕ヘルニアの治療期間と予後
腹壁瘢痕ヘルニアの治療期間は個々の症例により異なりますが、一般的に数週間から数か月を要します。
予後は多くの場合良好ですが、再発のリスクに注意が必要です。
治療期間の目安
手術後の入院期間は、通常1週間程度です。
退院後の自宅療養期間を含めると、日常生活への完全な復帰までには4〜6週間程度かかることが多いですが、個人差があるため医師の指示に従うことが大切です。
治療段階 | 期間の目安 |
入院期間 | 1週間程度 |
自宅療養 | 3〜5週間 |
完全回復 | 1〜3か月 |
予後と再発リスク
腹壁瘢痕ヘルニアの手術後の予後は多くの場合良好ですが、個々の患者さんの状態や手術方法によって異なる点に留意が必要です。
再発のリスクがあるため、患者さん自身も術後の経過に注意を払う必要があります。
再発率は手術方法や患者さんの状態によって異なりますが、一般的に10〜20%程度とされています。
生活習慣の改善
腹壁瘢痕ヘルニアの治療後、長期的な回復のためには生活習慣の改善が重要となります。
具体的には以下のような点に注意が必要です。
- 適正体重の維持
- 禁煙
- 過度な腹圧上昇を避ける
- 規則正しい排便習慣の確立
経過観察の重要性
通常、以下のようなスケジュールで経過観察が行われます。
時期 | 内容 |
術後1週間 | 創部の確認、抜糸 |
術後1か月 | 全身状態の確認 |
術後3か月 | 腹部エコー検査 |
術後6か月以降 | 定期的な経過観察 |
※経過観察の頻度や内容は、個々の状況に応じて調整されます。
薬の副作用や治療のデメリットについて
腹壁瘢痕ヘルニアの治療には、手術に伴う一般的なリスクや合併症(感染、再発、慢性疼痛など)に加え、特有の副作用やリスクが存在します。
感染リスク
腹壁瘢痕ヘルニアの手術後、感染のリスクが生じる可能性があります。
特に、メッシュを使用した修復手術では、メッシュ周囲の感染が深刻な合併症となることがあります。
感染リスク要因 | 対策 |
糖尿病 | 血糖コントロール |
喫煙 | 禁煙指導 |
肥満 | 体重管理 |
栄養不良 | 栄養状態改善 |
慢性疼痛
腹壁瘢痕ヘルニアの手術後、慢性的な痛みが残存するケースがあります。
痛みの原因としては、神経の巻き込みやメッシュによる組織の炎症反応などが考えられます。また、手術手技や使用されるメッシュの種類によっても慢性疼痛のリスクは変わります。
慢性疼痛の管理には、薬物療法や理学療法、時には神経ブロック療法などの複合的なアプローチが必要となる場合があります。
その他のリスクと副作用
腹壁瘢痕ヘルニアの治療に関連するその他のリスクや副作用には、以下のようなものがあります。
- 腸閉塞
- 漿液腫形成
- 出血
- 腹壁の緊張感や違和感
- 創部の瘢痕形成
これらのリスクや副作用は、個々の患者さんの状態や手術方法によって発生頻度が異なります。
保険適用と治療費
以下に記載している治療費(医療費)は目安であり、実際の費用は症状や治療内容、保険適用否により大幅に上回ることがございます。当院では料金に関する以下説明の不備や相違について、一切の責任を負いかねますので、予めご了承ください。
腹壁瘢痕ヘルニアの治療費は、手術の種類や入院期間によって大きく変動します。一般的に、保険適用の場合、患者さんの自己負担額は10万円から30万円程度となるケースが多いです。
個々の状況により費用は異なるため、詳細は担当医師にご確認ください。
手術方法による治療費の違い
手術方法 | 概算費用(3割負担の場合) |
開腹手術 | 15万円〜25万円 |
腹腔鏡下手術 | 20万円〜30万円 |
腹腔鏡下手術は傷が小さく回復が早いというメリットがありますが、開腹手術と比べて若干高額になる傾向です。
入院期間と治療費の関係
腹壁瘢痕ヘルニアの手術後は通常1週間程度の入院が必要となりますが、入院期間が長くなるほど治療費も増加します。
入院期間中の費用には手術料のほか入院料や食事代、投薬料などがあり、患者さんの回復状況によって変動します。
入院期間 | 追加費用(概算) |
1週間 | 5万円〜10万円 |
2週間 | 10万円〜20万円 |
合併症がなく順調に回復した場合は、1週間程度で退院できるケースが多いです。
保険適用と自己負担額
腹壁瘢痕ヘルニアの手術は、通常健康保険が適用されます。
保険適用の場合は患者さんの自己負担額は医療費全体の3割となりますが、高額療養費制度を利用すると自己負担額の上限が設定され、それ以上の費用は払い戻しを受けられる仕組みがあります。
手術以外にかかる費用
手術費用以外にも、術前検査や術後の経過観察にかかる費用があります。
- 術前検査費用(血液検査、心電図、レントゲンなど)
- 術後の通院・検査費用
- 術後の処方薬代
以上
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