がん治療の世界は日々進歩しています。その中でも近年、私たちの体にもともと備わっている免疫の力を利用してがんと闘う「免疫療法」が大きな注目を集めています。
しかし、この治療法がすべてのがん患者さんに同じように効果を示すわけではありません。そこで重要になるのが、がんの「個性」を深く知ることです。
この記事では、がん細胞と免疫細胞の関係性、すなわち「免疫学的特性」に基づいてがんを分類し、治療方針を決定していくという考え方について解説します。
なぜ今「免疫」ががん治療の鍵となるのか
これまでのがん治療は、がん細胞を直接攻撃することに主眼を置いていました。しかし、免疫の力を利用するという全く新しい視点が、治療の可能性を大きく広げています。
私たちの体の中では、日々がん細胞が生まれては免疫細胞によって排除されています。この本来の力を引き出し、がんを攻撃する力を取り戻すことが、近年の治療における重要な鍵となっています。
従来のがん治療との違い
がん治療の三大治療法と呼ばれる手術、放射線治療、化学療法は、がん細胞を物理的に取り除いたり、直接的に破壊したりする方法です。
これに対し、免疫療法は、患者さん自身の免疫システムを活性化させて、間接的にがんを攻撃する点で根本的に異なります。
この違いが、これまで効果が得られにくかったがんに対しても、新たな希望をもたらしています。
三大治療法と免疫療法の比較
治療法 | 作用の対象 | 特徴 |
---|---|---|
手術・放射線治療 | 特定部位のがん細胞 | 局所的ながんに高い効果を示す |
化学療法 | 分裂が活発な細胞(がん細胞など) | 全身に広がったがんに効果を示す |
免疫療法 | 患者さん自身の免疫細胞 | 免疫の力で全身のがんを攻撃する |
個別化医療の実現に向けた一歩
同じ種類のがんであっても、その性質や治療への反応は一人ひとり異なります。
「免疫学的特性による分類」は、この「がんの個性」を免疫の観点から解明し、それぞれの患者さんにより適した治療法を見つけ出す「個別化医療」を実現するための重要な考え方です。
特に、免疫の司令塔であるT細胞の働きを理解することが、治療戦略を立てる上で中心的な役割を果たします。
がん細胞が免疫から巧みに逃れる仕組み
本来であれば、私たちの免疫システムはがん細胞を「異物」として認識し、攻撃・排除します。しかし、がん細胞は非常に賢く、さまざまな方法で免疫の監視から逃れ、生き延びようとします。
このがん細胞と免疫の攻防を理解することが、効果的な治療法を考える上で欠かせません。
免疫の監視網をかいくぐる
がん細胞は、自身の目印(抗原)を隠したり、免疫細胞の働きを抑制する物質を出したりすることで、免疫からの攻撃を回避します。
さらに、がん細胞の周囲には「腫瘍微小環境」と呼ばれる特殊な環境が形成されます。この環境は、がん細胞の増殖を助け、免疫細胞が活動しにくい状態を作り出すことで、がんの成長を後押しします。
免疫にブレーキをかける「免疫チェックポイント」
私たちの免疫システムには、過剰な攻撃で正常な細胞まで傷つけてしまわないよう、働きを調整する「ブレーキ」の役割を持つ仕組みがあります。これを免疫チェックポイントと呼びます。
がん細胞は、このブレーキを巧みに利用します。
がん細胞表面の「PD-L1」という分子が、免疫細胞であるT細胞の「PD-1」という分子に結合すると、T細胞に強力なブレーキがかかり、がん細胞への攻撃が止まってしまいます。
この働きを断ち切ることが、免疫療法の重要なターゲットです。
PD-L1とT細胞の相互作用
分子 | 存在する細胞 | 役割 |
---|---|---|
PD-L1 | がん細胞など | T細胞の攻撃にブレーキをかける信号を送る |
PD-1 | T細胞(免疫細胞) | ブレーキ信号を受け取り、攻撃を停止する |
免疫細胞が集まる「ホットな癌」と集まらない「コールドな癌」
すべてのがんが同じように免疫細胞と関わっているわけではありません。がん組織の中に、がんを攻撃する免疫細胞がどのくらい集まっているかによって、がんは大きく二つのタイプに分類できます。
この分類は、免疫療法の効果を予測する上で非常に重要です。
腫瘍浸潤リンパ球(TIL)の量で決まる分類
がん組織の中に侵入しているリンパ球、特にT細胞のことを「腫瘍浸潤リンパ球(TIL)」と呼びます。
このTILが豊富に存在し、免疫細胞が活発に活動している状態のがんを「ホット腫瘍(免疫原性が高い腫瘍)」、逆にTILがほとんど存在せず、免疫細胞が排除されている状態のがんを「コールド腫瘍(免疫原性が低い腫瘍)」と分類します。
ホット腫瘍とコールド腫瘍の主な違い
特徴 | ホット腫瘍 | コールド腫瘍 |
---|---|---|
腫瘍浸潤リンパ球(TIL) | 多い | 少ない、または存在しない |
免疫チェックポイント分子 | PD-L1などの発現が高い傾向 | PD-L1などの発現が低い傾向 |
免疫療法の効果 | 期待できる | 効果が得られにくい |
治療効果の予測への応用
ホット腫瘍は、すでに免疫細胞が戦う準備をしている状態です。そのため、免疫チェックポイント阻害薬によってT細胞のブレーキを外してあげるだけで、高い治療効果が期待できます。
一方で、コールド腫瘍は、そもそも攻撃する免疫細胞がいないため、ブレーキを外すだけでは効果が得られにくいと考えられています。
ホット腫瘍になりやすいとされるがん種
- 悪性黒色腫(メラノーマ)
- 非小細胞肺がん
- 腎細胞がん
- 頭頸部がん
あなたの癌はどちらのタイプか – 治療法選択への影響
ご自身のがんがホット腫瘍かコールド腫瘍かを知ることは、治療法を選択する上で重要な情報となります。
この分類に基づいて、それぞれのタイプに適した治療戦略を立てることで、より高い治療効果を目指します。
ホット腫瘍に対する治療戦略
ホット腫瘍の場合、第一の選択肢として免疫チェックポイント阻害薬の使用を検討します。
この薬は、がん細胞が利用する免疫のブレーキ(PD-1/PD-L1など)を解除し、T細胞が本来の力を発揮してがんを攻撃できるように手助けします。
すでに攻撃態勢にある免疫細胞を再活性化させることで、効果的な治療が期待できます。
主な免疫チェックポイント阻害薬の種類
標的分子 | 薬剤の働き |
---|---|
PD-1 | T細胞側のブレーキを阻害する |
PD-L1 | がん細胞側のブレーキ信号を阻害する |
CTLA-4 | 別の種類のブレーキを阻害する |
コールド腫瘍をホットに変える試み
コールド腫瘍の場合、免疫チェックポイント阻害薬単独での効果は限定的です。そのため、まず「コールド」な状態を「ホット」な状態に変える、つまり、がん組織に免疫細胞を呼び込むための工夫が必要です。
現在、化学療法や放射線治療、その他の薬剤を組み合わせることで、コールド腫瘍をホット化する様々な研究や臨床試験が進められています。
コールド腫瘍に対する治療アプローチの例
- 化学療法との併用
- 放射線治療との併用
- 他の免疫療法薬との併用
- 遺伝子改変T細胞療法(CAR-T療法など)
免疫チェックポイント分子 – 治療効果を予測する重要な目印
免疫療法の効果を事前に予測し、より適切な患者さんに治療を届けるために、様々な「バイオマーカー」の研究が進んでいます。
バイオマーカーとは、体の状態や治療への反応を客観的に測るための指標のことです。免疫療法においては、PD-L1発現率やTMB、MSIなどが重要なバイオマーカーとして用いられます。
PD-L1発現率というバイオマーカー
PD-L1は、がん細胞や免疫細胞の表面に現れるタンパク質です。がん組織内にこのPD-L1を発現している細胞がどのくらいの割合で存在するかを調べる検査をPD-L1検査と呼びます。
この発現率が高いほど、免疫チェックポイント阻害薬の効果が期待できるとされています。ただし、発現率が低くても効果が出る場合もあり、総合的な判断が重要です。
PD-L1検査の評価指標の例
指標 | 評価対象 | 主に用いられるがん種 |
---|---|---|
TPS (Tumor Proportion Score) | がん細胞におけるPD-L1発現率 | 非小細胞肺がんなど |
CPS (Combined Positive Score) | がん細胞と周囲の免疫細胞を含むPD-L1発現率 | 胃がん、食道がんなど |
TMB(腫瘍遺伝子変異量)の重要性
TMB(Tumor Mutational Burden)は、がん細胞が持つ遺伝子変異の総数を指します。遺伝子変異が多いと、がん細胞の目印(ネオアンチゲン)も多くなり、免疫細胞が「異物」として認識しやすくなります。
そのため、TMBが高い(TMB-High)がんは、免疫チェックポイント阻害薬の効果が高い傾向にあることが分かっています。
MSI(マイクロサテライト不安定性)検査
MSI(Microsatellite Instability)は、DNAの複製エラーを修復する機能に異常がある状態を示します。
この状態(MSI-High)のがんでは、遺伝子変異が蓄積しやすく、TMBと同様に免疫細胞から攻撃されやすくなります。
MSI-Highのがんは、がんの種類に関わらず免疫チェックポイント阻害薬の効果が期待できるため、重要なバイオマーカーの一つです。
TMBとMSIの関連性
バイオマーカー | 指標 | 免疫療法への反応性 |
---|---|---|
TMB | がん細胞の遺伝子変異の総数 | TMB-High(高値)で効果が期待できる |
MSI | DNA修復機能の異常の有無 | MSI-High(不安定性高)で効果が期待できる |
遺伝子変異とは異なる視点 – 免疫学的分類の重要性
がん治療における個別化医療では、特定の遺伝子変異を標的とする「分子標的薬」も重要な役割を担っています。しかし、がんの個性は遺伝子変異だけで決まるものではありません。
免疫学的分類は、がん細胞とそれを取り巻く免疫環境という、遺伝子とは異なる側面からがんを捉えることで、治療の選択肢を広げます。
がんの個性を多角的に捉える
遺伝子変異の情報と免疫学的特性の情報を組み合わせることで、がんの個性をより深く、多角的に理解することができます。
例えば、特定の遺伝子変異を持つがんでも、免疫環境がコールドであれば、分子標的薬と免疫を活性化させる治療の併用を検討するなど、より精密な治療戦略を立てることが可能になります。
二つの分類法の視点の違い
分類法 | 着目点 | 主な治療法 |
---|---|---|
遺伝子変異による分類 | がん細胞の設計図(遺伝子)の異常 | 分子標的薬 |
免疫学的特性による分類 | がん細胞と免疫細胞の関係性 | 免疫チェックポイント阻害薬など |
治療抵抗性の克服に向けて
これまで効果的だった治療が効かなくなる「治療抵抗性」は、がん治療における大きな課題です。がんが治療に対して抵抗性を持つようになる背景には、免疫環境の変化が関わっている場合があります。
免疫学的特性を継続的に調べることで、治療抵抗性の原因を探り、次の治療法を考える上での重要な手がかりを得ることができます。
ご自身の癌タイプを知り納得して治療に臨むために
ここまで解説してきたように、がんの免疫学的特性を調べることは、ご自身がこれから受ける治療を理解し、主体的に関わっていくために非常に重要です。
専門的な内容も含まれますが、要点を押さえて主治医と話すことで、治療への理解が深まり、安心して治療に臨むことができます。
主治医との対話の重要性
治療方針は、がんの種類、進行度、体の状態、そして今回説明したようなバイオマーカーの検査結果などを総合的に考慮して決定します。
検査結果について分からないことや、治療に関する希望や不安があれば、遠慮なく主治医に質問し、話し合うことが大切です。納得できるまで説明を求め、共に治療方針を決定していく姿勢が求められます。
主治医に確認したいことのリスト
- 自分のがんは免疫学的特性の検査対象か
- 検査の結果(PD-L1, TMB, MSIなど)はどうだったか
- その結果は治療法の選択にどう影響するか
- 提案された治療法の期待される効果と副作用は何か
検査結果の理解と治療方針の決定
検査結果の数値や専門用語をすべて完璧に理解する必要はありません。
「自分のがんは免疫が働きやすいタイプ(ホット)なのか、働きにくいタイプ(コールド)なのか」という大枠を理解するだけでも、治療に対する向き合い方は大きく変わります。
ご自身の体の状態を知り、個別化医療の恩恵を最大限に受けるために、積極的に情報を収集し、治療に参加しましょう。
よくある質問
- 免疫学的特性を調べる検査は誰でも受けられますか?
-
全てのがん患者さんが対象となるわけではありません。がんの種類や進行度、これまでの治療歴などによって、検査の対象となるかどうかが決まります。
また、保険適用の可否も状況によって異なります。まずは主治医に、ご自身の状況で検査が可能かどうかを相談することが第一歩です。
- 費用はどのくらいかかりますか?
-
検査費用は、調べるバイオマーカーの種類や保険適用の有無によって大きく異なります。保険適用となる場合でも、高額療養費制度の対象となることがあります。
詳細な費用については、治療を受ける医療機関の相談窓口やソーシャルワーカーにご確認ください。
- ホット腫瘍なら必ず免疫チェックポイント阻害薬が効きますか?
-
ホット腫瘍は免疫チェックポイント阻害薬の効果が期待できる状態ですが、100%効果があるわけではありません。効果の出方には個人差があります。
ホット腫瘍という分類は、あくまで治療効果を予測するための一つの重要な指標と捉えることが大切です。
- コールド腫瘍だと治療法はないのでしょうか?
-
コールド腫瘍と判断されても、治療法がなくなるわけではありません。
前述の通り、コールド腫瘍をホット腫瘍に変えるための研究が進んでおり、化学療法や放射線治療など、他の治療法と組み合わせることで効果が期待できる場合があります。
また、免疫療法以外の治療法(手術、化学療法、分子標的薬など)が適している場合もあります。主治医と相談し、ご自身にとって最善の治療法を見つけていくことが重要です。
この記事では、がんを「免疫」という視点から分類する方法を解説しました。一方で、がん治療を考える上では、がん細胞の設計図である「遺伝子」の異常に着目した分類も非常に重要です。
特定の遺伝子変異を見つけ出し、それをピンポイントで狙い撃ちする「分子標的薬」は、個別化医療のもう一つの柱です。
免疫学的特性と遺伝子変異、この二つの側面からがんの個性を知ることで、より深くご自身の状態を理解し、治療の選択肢を広げることができます。
次の記事で、遺伝子変異による分類の世界を探求してみましょう。
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